glassmagazine-neoのブログ

muragon版の個人雑誌グラスマガジンネオ編集部で、二十世紀昭和最大の隠ぺい事件、生田小学校少女暴行事件と稲田支所少女暴行事件の、二つの隠ぺい事件の社会認知活動をしています。そして、私の作品も紹介したりしています。

個人雑誌編集部、

個人雑誌編集部、副編集長兼雑用、主力作家で画家の齋藤務です。


6月27日(水)今日、国立新美術館で開催中の蒼騎展の入選者参加の授賞式に主席しました。
初出展で初入選、急きょ描き始めて時間に追われた作品でしたが、何とか目出度く入選しました。お世話になった皆様に感謝申し上げます。
私の作品は、「父の心」と言うタイトルです。父は戦場で仲間を弔う、おくり人でした。歴史の一場面を切り取り油彩で描きました。仲間を弔う父の心は、亡くなった仲間と共に灰の様になったそうです。
私は、父から、その事を涙ながら聞かされました。私には、それを聞く権利が有ると言われました。仲間を思い子を思う父の苦悩や苦しみを、私は聞かされ、そして父から真実を伝えられました。
しかし、その真実の歴史的な事実をどう社会に伝えたらいいのか、私は色々と悩みながら、機会が来た時に描こうと決めていました。それが、やっと蒼騎展で実現したのです。
どう反応するのか、時期が早ければ展示もあり得ないと覚悟も決めていましたが、入選と言う形で日の目を見ました。蒼騎展の奥に展示されています。
私の描いた絵を、今は亡き父も喜んで呉れていると思います。父の心は、あの戦場で引き裂かれました。死んで行った彼らを思うと、一つしかない目に涙を浮かべて泣いてい居ました。(無い方の目からも涙は出ます)私は少しでも世の中の人に、当時の父の心が伝わればと思いっています。
是非、皆様、近くに行く予定が有れば、父の心 を見て頂きたいと思います。


2018年、6月27日、個人雑誌編集部、副編集長兼雑用、主力作家で画家の齋藤務、

muragonブログ、個人雑誌グラス編集部、祝!蒼騎展、入選!

個人雑誌編集部、副編集長兼雑用、主力作家で画家の齋藤務です.
muragonブログの皆様に、嬉しいご報告を致します。
東京六本木に有る。国立新美術館にて、6月27日(水)から~7月9(月)まで開催される。第58回、蒼騎展、で、私の描いた油彩画が、初めて入選しました。
muragonブログの皆様に、ご報告が遅れて仕舞い、真に恐縮です。嬉しさの余り我を忘れて、勝利の踊りをし捲くりました。と言うのは冗談ですが、舞い上がって何をしていいのか分からず。嬉し恥ずかし、自己反省も・・・
今回、描いた絵は、色々な問題で追い詰められて、時間的も余裕も無く描いた絵なので至らない部分が多く、入選と言う結果に驚きが有りました。でも作品は、限られた中で、自分なりに最大限に努力もした積りです。良い結果がもたらされた事に心から素直に喜び、皆様から高い評価を頂き、身が引き締まる思いです。今後は一層に努力を重ねて精進に努めます。
2018年6月25日、個人雑誌編集部、副編集長兼雑用、主力作家で画家の齋藤務、

[個人雑誌グラス編集部]長年の感謝を伝えに、大手の出版社に行ったよ!


個人雑誌グラス編集部、副編集長兼雑用、主力作家(個人雑誌での話)の齋藤務です。
何時も、ブログでは、気が大きく為り、大げさな事ばかり行っています。

2017年6月19日、今日は、池袋に行き、それから、大手の出版社まで、ブログ個人雑誌編集長の姉、齋藤孝子と、私、齋藤務とで、ブログ記事の取材を申し込みに、最大手の出版社である講談社に行きました。
取材と言っても、長年、伝えられなかった思いを伝え様と思い立ち、私たちは、過去に危ない所を、講談社の方たちに助けて頂いた事への感謝とお礼を、直接、伝えたいと向かいました。丁度、これから大きく活動の範囲を広げて行こうと考えていましたので、何は置いても、先ずは、一番先にして置きたい取材でしたが、(取材の序に社会見学をと・・)然し、ご迷惑な様子なので、(しつこく粘りましたが)仕方なく電話で気持ちだけ感謝とお礼に留めました。私たちの考えが少し甘え過ぎでしたね。
長年に渡り、今日、こうしてイラストや小説もどきの物を書き、いい気に為っていられるのも、あの時に助けていただいたからで、今思っても、当時、私も若すぎて、大人相手に乱闘など出来ません。彼らが逃がして呉れて、姉たちを連れて逃げるのが精一杯でした。
あれから、何年もの月日が流れて、その感謝の思いは、危険な思いをするた度に、常に感じていました。私たちの置かれた状況では、あの頃は闇しか見えませんでした。けれどその事件以来、考えは変わり、前向きに為れたと思います。それは社会には、まだまだ正義は有ると言う事を実感したからです。短い時間に、講談社の方とお話して、彼らが自分たちの仕事を大切にしている事が分かりました。私は、それから、その約束を果たそうと思い、漫画を描き、今は小説などを好きにいじっています。(ダメダメですが・・)亡くなった活動代表の齋藤ちゑ子も、感謝の気持ちを伝えたいと心から願っていました。本当に、心から感謝申し上げます。


取材は無理でしたが、取り直して、気持ちを伝えるべく、離れた場所から、一令をと思い、

先ずは、編集長から、感謝の気持ちを込めまして、講談社様に、深く一令をして、

続いて、厚かましく取材を申し込んだ。私が心からの感謝を込めまして、一令をしました。
でも、広報の方のお話では、このブログ等では、自由に書いてもいいのではと、お許しを頂きました。(もう既に過去の記事でも書きました・・・)

大体、198~4・5年頃でしょうか?私たちが襲われた。上の写真は馬橋の駅前の本屋さんです。今は閉まっていますが、夜遅くまで開いている本屋でした。
絡んで来た男たちは、私たちを知っている様子で、また権力者絡みかと、私たちは逃げようと本屋を出ましたが、取り囲まれ、絶対絶命無事には済まない状況でした。そこへ、割って入って呉れたのが、講談社の方たちです。私たちは逃げる事に成功しましたが、彼らは身を張って乱闘に為りました。遠くで救急車のサイレンが鳴り響いて、赤い回転灯がビルの窓に反射していました。私たちは身を隠しながら家に帰りましたが、何と言えばいいのか、どう感謝の気持ちを伝えたらいいのか分からずに、今まで来ました。当時は、隠ぺい事件に関係していた。国会議員が沢山いて、社会に出て行けば、父や母の様にめちゃくちゃに殴られたりした上に、多分、生きては居られなかったでしょう、親戚の国会議員に訴えに行き、母はお腹を蹴り回されて、私の弟は産まれて来ませんでした。父もボロボロです。これ以上目に立って自分が死んだら家族を守れないと、父は歯を食いしばって生き延びました。そんな理不尽な権力犯罪がまかり通る。恐ろしい社会です。然し、私たちは密かに、何時かは、この隠ぺい事件を世の中に出そうと考えていました。
そして、私はマンガを描き、社会に挑戦しましたが、結果はダメでした。然し、その時の政治の動きを、私も見て、姉たちの事件を確信しました。可なりの範囲まで事件は知られている様子です。少女漫画を奪い合う異常な光景が有りました。
当時、小学校の教室で複数の男たちが乱入して来て、姉は意識が亡くなるまで暴行を受けました。そして、それを訴えようとした姉も、役所の中で顔を切り刻まれて暴行を受けました。それを政治家たちが見ていたそうです。その後に、姉は黙れと川崎市長金刺に、市長室で殴られました。これらは一体、何の為の隠ぺい事件だったのか?犯罪の目的は?その動機は?どこに利益が有ったのか?誰がその利益を手にしたのか?多くの謎が有ります。それを今後も、私たちは非力ながら追及して行こうと思っています。当時の多くの人が知っていて隠ぺいされた可笑しな事件は、社会正義の下に暴かれなければ為らないと思っています。今後も、私たちは広く支援と協力を社会に求めて行こうと思っています。


追記、今日は、少しだけ気持ち良く眠れそうです。正しい社会は有るのですから、皆様に感謝して休みます。


2017年6月19日、個人雑誌グラス編集部、副編集長兼雑用、主力作家の齋藤務です。